『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読みました

久しぶりに小説を読みたくなって文庫本コーナーをウロウロしてたら目に止まった本。
タイトルは知ってるけど読んだことは無い、という人が多そうな気がする。私の中では裸になっちゃおうかな(なっちゃえ)が第一に来ます。
映画「ブレードランナー」がこの作品を元ネタとして製作されているようなのですが、こちらも未視聴(割と別作品らしい)。

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双剣パラディンさんを作りたい

作業スペースも(ひとまず)完成し、気力も回復してきたので本格的に製作を再開。前作から3ヶ月くらい間が空いてない…?

何から手を付けようかというところですが、前作ラビカちゃんは元々パラディンさんアレンジで行こうと考えてたんだよな…というのもあり、改めてパラディンさんをベースで考えることに。
今まで戦士騎士タイプの子、片手剣だったり両手剣などなど近接武器の子を作ってたけど、そういえば双剣の子は居ないなと気付いたので双剣パラディンさんを作ろう、と決めました。
作業も久々だし今回は難しく考えず、加工も最低限でお手軽ミキシングで行くことに。そして結果がこれ。

ぷにもふになっちゃった。

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作業スペースを作ろう(妥協編)

注文していたネロブースminiが届いたので作業スペースを作りました。結局ここまで2ヶ月くらいかかってしまった…が、よく考えると同じくらい何もしない期間を過ごすことがあるので平常運転かもしれない(年間4~6作くらいしか作れない)。

クソデカ段ボールで届いたし、箱の通りのサイズ感でした。miniとは

引越し前にこんな感じの作業スペース作りたい(でかい机が欲しい)みたいな妄想をしたのですが、一旦妥協。
作業部屋が段ボールまみれだったので単純に置き場所がなさそうだったので、昔使っていたL字デスクを代替品としています。
L字デスク自体は撮影スペース用にしようと思ってたんだけど、もう一つ机を展開する場所が無かったので…だいぶ段ボール自体は減ってきたのだけど、使用頻度低めのものとかが残ってるので一旦後回しに。

びふぉー
あふたー

使用感は良好。手元のスペースが取れるのと圧倒的な吸気力。照明は考えなきゃかも。

で、塗装ブースを置く以上排気について考えねばならず。色々参考にした結果nippperで紹介されてた手法が良さそうだったので真似することにしました。

910×910のポリカプラダンを買い、半分にしながら窓枠の高さに調整。
プラ板工作のお供たるコンパスカッターで配管の穴を開けて付属のテープで接続…というお手軽仕様(余談だけど、コンパスカッターあるとプラ板工作の幅が広がって良い気がします。最も活躍したのはヘイローづくり)。
見た目以上に硬いのでコンパスカッターで穴を開けるのが一番大変だったかも。手を切りかねないので気をつけよう。

窓枠にはめつつ窓そのもので挟む形。風が吹いても大丈夫そうだったのでとりあえずこの形に。

そんな訳で見た目は少しアレだけど、無事にネロブースが稼働するように。
かざもvol.3に参加する予定なので製作再開といきたい…のだけど、勤労がアレ過ぎて気力が保てていない。引越し後のあれこれも相まってゆっくり休めて無いんだよね…。
サフ吹いたりちょっとだけ塗装してみたりはしたけれど、この調子だと5月中にひとつ完成は難しそうか…?

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個人サイト文化って男女で微妙に受け取り方が違うんじゃないかと思った話

先日、「拝啓インターネット」なるサービスを発見し、ノスタルジックな気持ちに。他の人の記録を巡回したりしながら記入しました。
そこでも書いたのですが、私がインターネットに触れ始めたのは恐らく2005年頃。既にテキストサイト文化やFLASH文化は風速を失いながら、ブログサービスが現れたりもう少し寝るとニコニコ動画が現れたり…な時期です(この辺りは佐倉葉さんのサイトが詳しいのでぜひ)。

ただ、当時の記憶を掘り起こしても「個人サイト(≠テキストサイト)」を巡回していたのは確かで、雑談掲示板に入り浸っていたり、お絵かき掲示板の素敵作品を見たり、テキストチャットやお絵かきチャットでリアルタイムのやり取りができることに感動した記憶があります。隠しサイト探すためにHTMLのソースコード見たりね。
もうサイト名も忘れてしまったけれど、副管理人の権限を貰ったりキリ番踏んで専用アイコン作ってもらったりしたこともあるのじゃよ…(どちらもポケモン関係の個人サイトだったのは覚えてる)

当時入り浸っていた個人サイトの他に、創作系の個人サイトもたくさん見ていました。こちらはドラクエ関係が多かった。 イラスト関係のサイトが多く、リンクを辿って別のサイトへ…というのを楽しんでいた記憶。お気に入りのサイトで■■■■□←New!があると嬉しかったよね。 このサイトを立ち上げたのもこの頃の創作サイトへの憧れがあります。流石に現代向けなデザインにしたけれど… と、この辺まで書いて過去に同じことを書いていたことに気づいたので、本当にボケ老人になったかもしれない。

老人の話は置いといて、拝啓インターネットに登録した数日後、創作サーチなるサービスが始まりました。 サーチサイト、かつて見たことはあるけど現代で見ることになるとは思わず。しかも今なら登録できるサイトがある状態なので早速登録しました。
(ところでずっと疑問なのだけど、ミキシングモノって一次創作に入るんだろうか。旅人組や再現モノがあるので二次創作をしてるのは確かなではあるが。)
お陰様でこのサイトに訪れてくれた方もいらっしゃったようで、見てくれてありがたや…!となりました。そして同じように他の方のサイトに訪問して個人サイト良いよね…!となっていたのですが、ここで気づきが。

女性向けのサイト多いな…?

体感としては6:4か7:3くらいで女性向けのサイトっぽい気がする。もっとかも?
と言っても男性側としてイメージしやすいBLモノだけでなく、全年齢向けな一次創作二次創作もたくさん登録されてる様子。もちろん管理人さん男の人っぽいなーというサイトも登録されていました(プラモデル関係は他に見てないかも…)。
この「個人サイトって実は女性向けが多いんじゃ?」という感覚はこのサイト立ち上げ時にも少し気になってて、女性向けジャンル(あるいは創作)の壁打ち用に個人サイト作りました、といった表記を見たりしました。検索避け文化も個人サイト時代の風習が由来だったりするのかしら…?

そんな訳で、限定的な観測ではあるけれど、「個人サイト」というのも人によってイメージが異なるのかも…と思った話でした。 雑談掲示板とかがある交流目的の場所も、創作系の場所もどちらも記憶の中にあるのだけど、実は微妙に交わってはなかったのかもしれない。
サイト製作に私のTLで反応して下さった方々は男性陣だったのですが、前述のようなキリ番文化とかに共感してもらったりしたので同じような文化圏に住んでいたはず。
ただ、サイト製作側の記憶や感覚はまた別なのかもしれない。色んなサービスが失われた今だと一次史料は見つけにくいし。

 

完全に余談だけど、当時見てたドラクエ関係のイラストサイト、今振り返ってみると女性向け寄りだったんじゃなかろうか。5の主人公とヘンリーとか、8のククールとマルチェロとか。全年齢向けだったし、少年るーしん君は特に不思議には思ってなかったけど。
3は色んなスタイルの創作を見た記憶があり、所謂カップリングモノだったりプレイログだったりと、多種多様でした。
衣装をアレンジして「うちの子」にしてる創作とかも見た記憶があり、私の旅人組が衣装そのままにしてないのも影響を受けてます。 ドラクエって受け皿が広い分全年齢向けもR-18モノも、男性向けも女性向けも色んな入り口がある気がする。

ちなみにシド主♀がすきです。

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『近代万博と茶 世界が驚いた日本の「喫茶外交」史』を読みました

タイトルに惹かれて読んだ本。

特に日本茶に詳しいわけでも無いんですが、明治維新後の日本と西欧の様子、そして当時の万博の雰囲気が分かる一冊です。
読み終えたのは大阪万博開会式前なのだけど、話を聞くにこの本に登場するような良い盛り上がり方をしてそうな気がします。

開国後の日本が万博に出展する目的は2つあったようで、「日本文化を海外に伝える」と「日本茶の輸出先を探す」というもの。
当時の先進国に非文明国と思われないように…という思惑と、単純に外貨獲得のため。ヨーロッパには既に中国やセイロンの紅茶が輸出されていたようで、日本はアメリカを向けにお茶の輸出を目論んでいました。日本茶をアピールする場として第二次大戦前まで幾度か出展していたようです。

初めは「茶道」としての文化を海外に見せるため…という出展で、茶器や茶室などを初めて見る西欧人に好評だったようです。茶器はその技法や芸術性、茶室の「侘び寂び」といった要素が刺さったようですが、この辺は今も昔もステレオタイプな日本像がウケたといった感じ。
出展を重ねるにつれて大がかりになっていき、スペースも日本庭園を再現した建築を行うために大工を派遣したり、給仕として名家の娘を公募したり(茶道の嗜みから気品、家柄まで審査されたり…と時代を感じる)と、民間からの協力もあって成功したことが伝わります。

同じようににお茶の販路を広げるための工夫も試行錯誤されていき、「紹介するために無料で飲めるもの」から「現地の人に合わせた喫茶店スタイル」とノウハウが積まれていったようです。輸送環境の整備もあり、販路開拓は成功していた様子。
今回の大阪万博もイタリア館の展示物が本気すぎるとか、各国の食べ物が日本レベルで楽しめるとか見ましたが(フィッシュ&チップスが美味しいのはおかしいとの説も)、今も昔も出展側は全力なのだろうと伺えます。

お茶とは離れるんですが、ウィーン万博のパビリオン建築途中にオーストリア皇后が鉋掛けされた木材を見て感激し、削り跡を記念に持ち帰った…というのが好きエピソード。
鉋って海外に無いし珍しいもんね…と思いつつ、先日伊勢神宮のせんぐう館に行った際に同じような展示があって、「これは確かに感激するな…」ってなりました。職人技ってすごい。

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