『高い城の男』を読み返しました

ジークアクス、高い城の男なのでは?という感想をちらほら見かけるので読み返しました。

ずいぶん前に読んでるんですが、しっかり内容覚えてた訳ではないのと、直近でアンドロイドは電気羊の夢を見るか?を読んだので、ならば再履修を…という感じ。
アマプラ版の実写ドラマも見た記憶がありますが、完走はしなかったはず。記憶がごちゃ混ぜになってるので再履修も兼ねて…

舞台は第二次世界大戦に日独が勝ち、アメリカが分割された世界。アメリカ西海岸側は日本が、東海岸はドイツが、中部やロッキー山脈周辺は両国の緩衝地域となっています。
東海岸は戦中にドイツの爆撃によって焼け野原になったものの、戦後フリッツ・トートや総督となったロンメルによって復興。ただ、ユダヤ人弾圧は継続された他、アメリカ人は二等市民として扱われています。
一方の西海岸はこれよりも緩やかな支配をされていますが、やはりアメリカ人の地位は下と見られています。日本人が入植しており、それに媚びへつらう現地人もいるものの他の現地人からは白い目で見られている様子。物語の大半はこちらの西海岸側で展開していきます。

戦後十数年経ち、日独は対立。ヒトラーは老衰により表舞台には立たず、一方日本も戦後の政界がどのようになっているかは明言されていません。
そんな世界の中で、物語は複数の登場人物の視点で進んでいきます。日本の高官、日本人相手に取引をする古物商、戦争に参加していたユダヤ系アメリカ人、国防軍の情報部…などなど、背景の異なる人物達が少しずつ重なり合っていきます。

 

第二次世界大戦のif、という部分よりも「本物(価値あるもの)か模造品か」というテーマがこの小説の本質だと思われます。これは電気羊と重なる部分もあり、著者の扱いたいテーマなのかもしれません。
劇中では「南北戦争で使われたとされる拳銃だが、研究室で調査したら贋作だった」「ケネディが暗殺された際に持っていたライターだが、それを証明するのは調査結果の証明書」のように、希少品とされつつ、その価値は物語性と証明書で決まる、といった話が所々に出てきます(注:もちろん贋作を肯定する話では無いです)。
また、登場人物達も時に身分を偽り、別人のように振る舞う場面が何度かあります。読者側に分かるよう書かれておらず、後になってから判明する場合もあったり。

この辺りの描写、本物かどうか(価値があるか)は主観に委ねられるが、正しいかは分からない…というのを考えさせられます。終盤のフリンクとチルダンの行動とか。
読みながら考えてたのが、自分が作った素組のプラモデルと他人が作った素組のプラモデルでは感じ方の違い。「初めて作った」とかだと更に違うはず。
「レアなキットだから」というのもあれば、「稼動フィギュアで良くない?」とか「そもそも興味無い」という人もいる訳で、主観による見え方に正しさを求めるのがそもそも違うんだよな…と考えさせられます。

劇中で行われる占いの「易経」や、イギリス主軸で連合国が第二次大戦に勝利した「イナゴ身重く横たわる」という作中の小説も、やはり見え方に関するもの。
前者は自分では判断できない事象や今後について、見え方の宣託を受けるため(意味を求めるため)。
後者は枢軸勝利世界の人物が想像する連合国勝利世界というifのifで、読者側たる我々とはまた異なる歴史を見せます。
戦後もチャーチルがずっと首相として君臨するなど、そんな事ある?と思える部分も出てくるのですが、却ってifのifを空想させるものになっていると思います。
正しい見え方とは何か、登場人物達の色々な視点から見ていけるのもポイント。

 

ただ、終盤の展開に関しては賛否分かれそうな気もする。
眼の前の物や事象をどう解釈するのか…というのもこの話のテーマだと思われるので、考えながら読んでいく分には面白いと思います。易経もそう言っている…

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