『近代万博と茶 世界が驚いた日本の「喫茶外交」史』を読みました

タイトルに惹かれて読んだ本。

特に日本茶に詳しいわけでも無いんですが、明治維新後の日本と西欧の様子、そして当時の万博の雰囲気が分かる一冊です。
読み終えたのは大阪万博開会式前なのだけど、話を聞くにこの本に登場するような良い盛り上がり方をしてそうな気がします。

開国後の日本が万博に出展する目的は2つあったようで、「日本文化を海外に伝える」と「日本茶の輸出先を探す」というもの。
当時の先進国に非文明国と思われないように…という思惑と、単純に外貨獲得のため。ヨーロッパには既に中国やセイロンの紅茶が輸出されていたようで、日本はアメリカを向けにお茶の輸出を目論んでいました。日本茶をアピールする場として第二次大戦前まで幾度か出展していたようです。

初めは「茶道」としての文化を海外に見せるため…という出展で、茶器や茶室などを初めて見る西欧人に好評だったようです。茶器はその技法や芸術性、茶室の「侘び寂び」といった要素が刺さったようですが、この辺は今も昔もステレオタイプな日本像がウケたといった感じ。
出展を重ねるにつれて大がかりになっていき、スペースも日本庭園を再現した建築を行うために大工を派遣したり、給仕として名家の娘を公募したり(茶道の嗜みから気品、家柄まで審査されたり…と時代を感じる)と、民間からの協力もあって成功したことが伝わります。

同じようににお茶の販路を広げるための工夫も試行錯誤されていき、「紹介するために無料で飲めるもの」から「現地の人に合わせた喫茶店スタイル」とノウハウが積まれていったようです。輸送環境の整備もあり、販路開拓は成功していた様子。
今回の大阪万博もイタリア館の展示物が本気すぎるとか、各国の食べ物が日本レベルで楽しめるとか見ましたが(フィッシュ&チップスが美味しいのはおかしいとの説も)、今も昔も出展側は全力なのだろうと伺えます。

お茶とは離れるんですが、ウィーン万博のパビリオン建築途中にオーストリア皇后が鉋掛けされた木材を見て感激し、削り跡を記念に持ち帰った…というのが好きエピソード。
鉋って海外に無いし珍しいもんね…と思いつつ、先日伊勢神宮のせんぐう館に行った際に同じような展示があって、「これは確かに感激するな…」ってなりました。職人技ってすごい。

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