お伊勢参りをしてきました

2泊3日でお伊勢参りに行ってきました。

と言うのも、お父様が2月に還暦を迎えるので何かせねばな…ということで、1月後半辺りから計画していました。弟もいるので、一家4人で集まって行けるタイミングを合わせて行く、費用は長男たる自分が出すので全員集合…という計画でした。お父様が還暦を迎えるのが今年ではなく来年だったこと以外は完璧だった。るーしん家、誕生日や○○の日を祝う文化が無いのでちゃんと把握していなかったのじゃ…(言い出した手前引き下がれなくなった)

まあきっかけは何であれ、とても良い2泊3日の旅となりました。旅行は行けるときに行くのが良いとされているし、いわゆる親孝行的なことを今までできていなかったし。
ある程度予約を進めてた段階で異動&引っ越しが決まったので大出血ですが、自分の趣味だけにお金を使うよりはよかろう…
ちなみに、日本神話の予備知識としては父母がそこそこ(なんなら夫婦で神社巡りして御朱印集めてる)、弟もそれなり(大神シリーズの大ファン)、私は微妙(鬼灯の冷徹を読んだり昔東方原作遊んでた程度)という感じ。高校生の頃に古事記読んだことがあるんだけど、だいぶ昔なので覚えてない部分が多々あった。予備知識は参拝の手順を読んだ程度。あとメガミデバイスたくさん作ってる割にアマテラスは未購入だったりする。

そんな訳で旅の記録です。だいぶ長め。
正しきインターネットの使い方をしている気がする。

 

 

お伊勢さんへの道

土日は間違いなく混むだろうということで、木曜日を出発日に。

東京から名古屋まで2時間くらい、さらにそこから伊勢を経由してお宿まで2時間くらいの計4時間ほど。東京や名古屋では春休みに家族連れで…という旅行客が多い感じでしたが、伊勢へ向かう人は少なくゆったりした旅となりました。

現地の宿にチェックイン後、近くの二見興玉(ふたみおきたま)神社へ。

お伊勢参りをする前に身を清める場所とのことで、初日にここへ訪れたかったのです。…というのは計画するまで知らなかった訳ですが、夫婦岩は見たことがあった。また、境内社として綿津見神も祀られていました(写真白飛びしてしまってたのが悲しい)。
二見興玉神社の祭神は猿田彦大神で、天孫降臨の際に猿田彦大神が道案内を努め、この地で天照大神を迎えたようです。蛙は神の使いとのこと。ここで旅の無事を祈りました。

旅の宿、大石屋

お宿は大石屋という旅館に。旅館に泊まりたかった&海の見える所に泊まりたかったというので決めました。後述しますが、とても良いお宿でした。

 

お部屋からの景色。オーシャンビューというやつです。
天気が良ければ綺麗な景色が望めるはずなのですが、あいにくタイミングが悪くこちらはおあずけ。
が、それも吹き飛ぶのがお食事でした。

溢れんばかりの海の幸。(1枚目:初日の夕飯 2,3枚目:2日目の夕飯 4枚目:2日目の朝食)
前菜しか撮ってなかったのですが、夕飯は更に色々な品が出されて文字通り食べきれない程でした。見返しても腹減ってくるな…!

当然のごとく伊勢海老は初めて食べたし、お刺身や天ぷら、貝類などなど沢山の海鮮を頂きました。ご飯も美味しくて、初日に食べた釜飯がすごく美味しくて感動。
伊勢海老はお造りで頂いたのですが、甘くて食感も楽しめる絶品でした(文字通り生きてた)
頭は次の日に味噌汁のお出汁として使われてて、こちらも大変美味でした。

旅館の仲居さん達にもとても丁寧な対応をしてもらって、快適に過ごせました。駅への送迎もしてくれたので単純に旅行の拠点として便利だったほか、父が唇を切ってしまった際にもあれこれ対応してもらえました。
食事の際に冗談を交えながら話してくれていたのですが、あれは関西圏のノリなのか仲居さんのトーク力の賜物なのか気になるところ。

本編、お伊勢参り

2日目の午前からお伊勢参りへ。
伊勢神宮は外宮と内宮で分かれており、距離も離れているので午前に外宮→昼飯→内宮→後は流れで、という感じに。

まずは外宮。伊勢市駅から歩いていける場所にあり、街と一体となってる印象でした。

手水舎でお清めを済ませて参道を歩いていくと、空気感が変わって来るのが感じられます。
別にスピリチュアルとかを信じている訳では無いのですが、流石に別格。森の中というのも大きい気がする。参拝客も少なかったからか、参道はとても静かでした。

正宮。撮影できるのはここまで。
式年遷宮によって建造物自体が古いわけでは無いのですが、神明造による最古の建築様式というのもあって趣のある場所でした。
この後の内宮もそうなのですが、伊勢神宮全体が彩度の低い場所なんですよね。以前伏見稲荷を初めとする京都旅行をしたことがあるんですが、あちらは朱色の鳥居に建物も紅白の塗装されていましたが、こちらは昔からの姿がそのまま残っている印象でした(当然建築様式によるところもある)。
これは周りの木々による雰囲気もあると思うんですが、

めちゃめちゃ大きな木々がそこかしこに生えているんですよね。樹齢何百年とかなのだろうか…?
それも正殿の周辺だけでなく、参道が通る森そのものが大きい。危険が無いように所々手入れはされているけれど、スケールは段違いです。
これらによってこの空間の特別さが生まれている気がする。「神域」という言葉がふさわしい場所です。花粉症持ちだけど杉の大木があっても平気だったので加護がありそう。

 

お昼に伊勢うどんを食べ、内宮へ。
外宮からバスが出ているのですが、おそらく通常のバスとは別に臨時バスがたくさん出ていそうでした(乗ったのも臨時バスだった)。
すぐに埋まったのですが、外宮がすごく広いので人が少ないように感じただけかもしれない。

午後一時前だったと思うのですが、こちらは外宮とは比べ物にならないほど混んでました。
近隣の地域から内宮だけ参拝に来られているのかな、という印象。祭神たる天照大神にとっては賑やかな方が良い気もする。
人の多さと参道の広さからか、外宮と同じ神域としても「特別な場所」というよりも「人々が親しむ場所」という感じがします。

参道の途中で少し外れた場所に五十鈴川が流れており、ここが「御手洗場」だそうです(普通の手水舎もあるのだけど、それとは別に川辺に来られる場所がある)。川の中に魚がいるのが見えるほど綺麗な場所でした。ここはとても静かで不思議な空間。
ここで家族写真を撮ったんですが、普段セルフタイマー使わないのでそこそこ苦戦した。

父の希望で参拝の前に御祈祷を受けることに。
写真の奥側に神楽殿があり、その中で受けられます(流石に撮影禁止…なのだけど、建物自体は問題ないはずなので外から撮っとけばよかったかも)。
当然ながら中々できない貴重な体験で、宮司さんに祝詞の読み上げてもらって祝福の祈願をしてもらえます。
るーしん家は除災招福を祈願したのですが、参加者の中で生まれてきた赤ちゃんに祝福してもらっていたお家がいらっしゃったようで素敵…!ってなりました。

御祈祷のあとはいよいよ正宮へ(この順路が正しいらしい)。こちらも鳥居の先では撮影禁止。
外宮と同じように寝殿造りによる古来からの姿で、こちらは参拝客も多く混雑していました。
明治神宮みたいな大きな賽銭箱を用意して…という想定はされていないので(式年遷宮が始まった690年から同じ姿だろうと思われる)、順番待ちが発生していました。金曜日でこの人数だと土日や祭日の時は大変そう。

そして少し外れるとやはり静かな空間が広がります。
これは別宮の風日祈宮への道中。やはり大きな森に囲まれているからかとても静かでした。

一通り巡った後はせんぐう館に立ち寄って伊勢神宮の歴史や建築技術、祭事に使う道具などを見て回りました。
諸々の技術を見ていると「表面処理を甘えるな」という職人の声が聞こえてきた気がします。

寄り道

内宮のすぐ近くに「おはらい横丁」というエリアがあります。
雰囲気として浅草寺前といった感じでした。お店の内容や観光客の多さを含めて。
伊勢神宮のお土産屋さんはこの周りにたくさんあって、伊勢市駅や外宮周辺ではそんなに多く見かけなかったです。人が集まるのもこれが理由かもしれない。

全然写真を撮ってなかったのだけど、おみくじ付きATMとは一体…となった記念写真(謎写真)。

おはらい横丁を抜けて少し歩くと、猿田彦神社に着きます。

二見興玉神社でも祀られていましたが、こちらは天孫降臨を終えた後に鎮まった地として建てられた地のようです。また、天宇受売命を祀る佐瑠女神社も一緒にあります。
こちらは伊勢神宮とはまた違った雰囲気の神社でした。道開きの神だからか近くの観光所の紹介パネルもありました。

この辺りで良い時間になってきたので宿に帰還。天候が怪しい日程だったのですが、雨に降られることもなく旅の主目的は平穏に終わりました。

さらに寄り道の名古屋

東京駅から伊勢市へは直接つながっておらず、名古屋で特急電車に乗り換えが必要です。
そんな訳で帰り道は名古屋でお昼を食べつつ、名古屋城を観光することになりました。

過去のなごフェス2023、2024に参加した際に名古屋で泊まっているのですが、実は名古屋城は来たことが無かったり。家族全員誰も来たことが無かったので「名古屋城を訪れた」という実績が半分目的になってしまった。時間の都合上ふらっと見ただけではあるのですが、結果的に少し早いお花見となりました。
お城の外堀や石垣が大きいので攻城戦になったら大変そう…という話を父上としていました。男の子はいつまで経っても男の子なのだな…
私は日本史知識があんまり無いのでアレなのだけど、西洋のお城とは構造が違うので面白いよね。

こちらはやっぱり場所の都合上人が多く、出店や観光客向けのショーなんかも行われていました。
伊勢神宮では外国人観光客をほとんど見かけなかったのですが、こちらでは着物を着た外国人一家を見かけたりと賑わっている様子でした(逆に伊勢神宮に来てる外国人が日本通すぎる気もする)。
名古屋、観光客目線だとあるものを最大限に使う都市…という印象なのだけど、現地民としてはどうなんだろう。

名古屋城を後にして帰りの新幹線に揺られ、2泊3日の旅は無事終了。
個人的に貴重な体験となりつつ、一家揃って旅行ができたのはとても良かったのではないかと思います。

 

余談

以下オタクの戯言。

伊勢神宮で気になった点が2つあって、1つは「お伊勢さん」というさん付けの呼び名なこと。
これはやっぱり特別な存在でありつつ、昔の人々に親しまれていた…ということなのかしら。この辺は予備知識つけてから来てもよかったかもしれない。
もう1つはお宿で頂いたような海の幸が豊富なのだけど、そんな海の恵に対する信仰が見られなかったところ。
二見興玉神社では綿津見神が祀られていたけれど、海の神として海が荒れないように…といった信仰のようだったので、海での豊かさを司る訳では無いはず。
外宮に祀られている豊受大神は天照大神の食を司る存在とされているので、こちらも違う…となると、そういう文化というか信仰は神社が建てられる以前には無かったんだろうか。
冷蔵技術が一般化する前はマグロはあんまり美味しくない食べ物とされていた…と聞いたことがあるんだけど、信仰の時代では気にしなくていいくらい豊かだったのか、それとも航海技術などもあるし後発の文化だったりするんだろうか。

そして伊勢神宮だけではないんだけど、神道って意外と「神聖さ」が中核にあるのかな…と御祈祷で感じたり。
神道よりもキリスト教知識のほうが詳しくなってしまったのでつい比較してしまったんだけど、「神のお告げ」を重視するカトリックと「聖書の教え」を重視するプロテスタントに分かれた際、カトリック側は教皇を初めとする教会勢力が神聖さを担保する教えとした訳で。
肝心の教会側が腐敗していたのが問題だった訳だけど、カトリック側はこの「神聖さ」を守るため、誰でも聖書を読むのではなく神の代弁者たる教皇やその配下の司祭たちが必要…という考え方のはず。そう考えると、宮司さんや巫女さんが儀式を執り行うのはこの「神聖さ」を担保する面があるように感じました。
信仰が暴走すると悲劇を生んでしまいますが、一方で現代まで残る儀式や慣習から感じるものもあるので一概に否定するのも違う気がする。

…と、ちょっと難しいことも考えたり。これがおじさん化なのかしら…

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