『ヴィクトリア朝時代のインターネット』を読みました

インターネット老人なので…とかは関係なく、純粋にタイトルで気になってた本。
腕木通信から始まる通信の高速化と、その後の電信による世界のネットワーク化、それによる出来事を書いた本です。
元々書かれたのが1990年代末、その後邦訳が00年代に出されたものの絶版となり、改めて最近になって文庫版として出されたようです。

読む前は電信って局地的な通信に使われてたんじゃないの?と思ってたんですが、交換局を介してアメリカ各地やヨーロッパ、更にはアジアまで海底ケーブルを繋いでおり、まさに「インターネット」となっていました。
電信とインターネットの共通性を書いていて、初めは理解されなかったもののその有用性が広まると爆発的に普及していったり、一方で悪用されたり…というのも重なります。
違うのは回線交換が人力という部分で、ここに従事していたオペレーターの話なんかも載っています。仕事が無い時は外部のオペレーター同士で交流していた…というのも現代のインターネットでも重なるのかもしれない(これは職場に寄るだろうけど)。
また、ラストワンマイルを繋ぐために気送管が登場するんですが、これもスチームパンク創作だと思ってました。産業革命の真っ只中、蒸気と鉄道と同じくらい当時の人々の生活を変えていった電信…そんな18世紀末〜19世紀中頃の話です。

電信の普及は世界が縮まり、これによって世界各地の相互理解が進んで平和になるはず…という言説も支持されていたようで、MGS3のシギントさんが想像していた世界は100年前にも空想されていたようです。
残念ながら現代インターネットは悪徳金儲けや陰謀論ばら撒き装置に成り下がっていますが、当時はまだ不特定多数と通信するわけでは無いので平和的なエピソードが多め。
わるい使い方としては「競馬の結果が地方の販売所に伝わる前に電信で結果を聞き、勝ち馬に乗る」とかはあったようです。まだ郵便の時代なので、結果も鉄道で送られていたらしくその前だったら馬券が買えてしまったらしい。これが光の速さ(オペレーターを介すから実際にはもっと遅いにしても)で伝わるようになる…というのも、産業革命による大きな変化ですき。

符号を知ってなければ使えない電信も、誰でも使える電話が発明されると過去の産物となるように…と言ったところで本書の締めくくりに。50年程度で移り変わったのが長いと見るか短いと見るか。
冒頭に書いたようにこの本が書かれたのは90年代末と、インターネットが少しずつ普及しはじめた時期。現代の人間が読むとインターネットそのものは過去の産物にはなっていませんが、使い方は文字から音声、動画に変わったのはあると思います。一部の人しか使えなかった過去の産物として見るならパソコン通信の方が近いのかもしれない。個人的にはもっとのんびり静かなインターネットのほうが好きなのだけど…変化を受け入れられないのも良くないよね。
インターネットが過去の産物となるならもっと手軽に誰でも…という技術になるけれど、光の速さで通信できてしまうのを考えると残るは空間とかになるんですかね。今のところVRChatとかってモノ好きなオタクしか使ってない気がするし、VRモノ流行るって言われて何年経ってるのよというのはあるけれど…

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